歴史が証明!実はハイヒールは男性が先に履いていた。ルイ14世も愛用した驚きの起源を解説
歴史が証明!実はハイヒールは男性が先に履いていた。ルイ14世も愛用した驚きの起源を解説
今や女性のファッションに欠かせないハイヒール。しかしその歴史を遡ると、実は男性が先に履いていたという驚きの事実があります。この記事では、ハイヒールの起源が乗馬を目的としたペルシャの騎兵にあり、その後ヨーロッパで太陽王ルイ14世など男性貴族の権威の象徴となった歴史を解説。そして、なぜ男性が履かなくなり、女性のファッションアイテムへと変化していったのか、その理由と背景に迫ります。ハイヒールの知られざるルーツが全てわかります。
1. 結論としてハイヒールは男性が先に履いていた
現代において、ハイヒールは女性のファッションを象徴するアイテムとして広く認識されています。しかし、その華やかなイメージとは裏腹に、歴史を紐解くと驚くべき事実にたどり着きます。実は、ハイヒールを最初に履いたのは女性ではなく、男性だったのです。
「ハイヒールは女性のもの」という現代の常識を覆すこの歴史は、単なるファッションの流行り廃りではありません。その起源は実用的な目的にあり、時代と共に権威の象徴へと姿を変え、やがて社会の大きな変化の中で履く人の性別も移り変わっていきました。この記事では、まず結論として、ハイヒールが男性の履物として生まれ、どのように歴史を歩んできたのか、その概要を解説します。
1.1 ハイヒールの歴史早分かり!男性から女性へ渡った驚きの変遷
ハイヒールの歴史は、今から1000年以上前のペルシャに遡ります。当初は、おしゃれのためではなく、極めて実用的な理由から男性によって履かれていました。それがヨーロッパに伝わると、今度は男性貴族たちの間で「権威」や「富」を示すステータスシンボルとして大流行します。特にフランスの太陽王ルイ14世が愛用したことは有名です。
その後、男性的な権威やファッションに憧れた女性たちがハイヒールを取り入れ始め、徐々に女性の履物としても定着していきました。そして、フランス革命を境に男性のファッションが実用性重視へと大きく舵を切ったことで、男性はハイヒールを履かなくなり、完全に女性のアイテムとして現代に受け継がれることになったのです。
1.2 目的で見るハイヒールの役割の変化
ハイヒールが誰に、そしてどのような目的で履かれていたかは、時代によって大きく異なります。その変遷を以下の表にまとめました。
時代 | 主な使用者 | 主な目的 |
---|---|---|
10世紀頃のペルシャ | 男性の騎兵 | 乗馬の際に鐙(あぶみ)に足を固定するため(実用性) |
17世紀頃のヨーロッパ | 男性の貴族 | 身長を高く見せ、富と権威を示すため(ステータス) |
17世紀中頃以降 | 上流階級の女性 | 男性的なファッションの模倣、目新しさ、美しさの表現 |
19世紀以降~現代 | 主に女性 | 脚を美しく見せる、ファッション、フォーマルな装い |
このように、ハイヒールは「乗馬の道具」から「権威の象徴」へ、そして「女性の美のアイテム」へと、その役割を劇的に変化させてきました。次の章からは、この驚くべき歴史の旅を、時代を追ってさらに詳しく解説していきます。
2. ハイヒールの起源はペルシャの男性騎兵だった
現代では女性のファッションアイテムとして定着しているハイヒール。しかし、その歴史を遡ると、驚くべき事実にたどり着きます。実は、ハイヒールを最初に履いたのは男性、それも10世紀頃のペルシャ(現在のイラン)の騎兵たちだったのです。彼らが履いていた靴は、現代のハイヒールとは目的も形も異なりますが、かかとが高いという構造的な特徴を持っており、これがハイヒールの原型とされています。
当時のペルシャは、世界有数の馬術文化を誇っていました。屈強な騎兵たちは、戦場でその能力を最大限に発揮するため、様々な工夫を凝らしており、その一つがかかとの高い靴だったのです。女性の優雅さとは対極にある、戦う男たちの実用的な道具としてハイヒールは誕生しました。
2.1 目的はおしゃれではなく乗馬のため
ペルシャの騎兵たちがハイヒールを履いた理由は、決してファッションのためではありませんでした。その目的は、乗馬、特に戦闘時における安定性の確保という、極めて実用的なものだったのです。
馬に乗る際、足を乗せる馬具を「鐙(あぶみ)」と呼びます。かかとの高い靴を履くことで、この鐙にヒール部分がしっかりと引っかかり、騎乗中に足が前へ滑り抜けるのを防ぐことができました。これにより、騎手は馬上で非常に安定した体勢を保つことが可能になります。
特に、馬上で立ち上がって弓を射るような高度な騎射術において、この安定性は絶大な効果を発揮しました。足元が固定されることで、上半身を自由に使い、正確に的を射ることができたのです。つまり、ハイヒールは彼らにとって、戦闘能力を向上させるための重要な軍事装備の一つでした。
項目 | 起源(ペルシャ騎兵) | 現代 |
---|---|---|
主な着用者 | 男性(騎兵) | 主に女性 |
主な目的 | 乗馬時の安定性確保(実用性・機能性) | 美観、スタイルアップ(ファッション性) |
主な使用場面 | 戦場、乗馬時 | 日常生活、社交場、パーティーなど |
2.2 ヨーロッパへ渡り貴族のステータスシンボルへ
実用的な道具であったハイヒールが、ファッションアイテムとしてヨーロッパに広まるきっかけとなったのは、16世紀末から17世紀初頭にかけてのことでした。当時、強大なオスマン帝国に対抗するため、ヨーロッパ諸国はペルシャとの同盟を模索していました。
1599年、ペルシャのシャー(王)であるアッバース1世は、ヨーロッパへ大規模な使節団を派遣します。彼らが履いていたかかとの高い靴は、ヨーロッパの貴族たちの目に非常にエキゾチックで男らしいものとして映りました。ペルシャ騎兵の勇猛さへの憧れもあり、ヨーロッパの男性貴族たちは、こぞってこの新しいファッションを取り入れ始めたのです。
ヨーロッパに渡ったハイヒールは、その意味合いを大きく変えました。ぬかるんだ道を歩くのには不便な高いヒールは、肉体労働をする必要のない、裕福で高貴な身分であることを示す象徴となりました。つまり、実用的な道具から、富と権力を誇示するためのステータスシンボルへと変化したのです。この流行は、次の章で解説するフランスの「太陽王」ルイ14世の時代に、その頂点を迎えることになります。
3. ハイヒールを愛した太陽王ルイ14世
17世紀のヨーロッパにおいて、ハイヒールの流行を決定づけた人物がいます。それが、フランス絶対王政の象徴である「太陽王」ルイ14世です。ペルシャから伝わったハイヒールは、彼の登場によって、単なる乗馬用の履物から、宮廷における権力とファッションの最重要アイテムへと昇華しました。
当時のヨーロッパのファッションリーダーであったルイ14世は、ハイヒールが持つ視覚的な効果を最大限に活用し、自身の権威を高めるための強力なツールとして用いたのです。彼の宮廷、ヴェルサイユ宮殿では、ハイヒールが男性貴族の必須アイテムとなりました。
3.1 身長を高く見せ権威を示すファッション
ルイ14世がハイヒールを熱心に愛用した最も大きな理由は、自身の身長を高く見せるためであったと言われています。彼の身長は約163cmとされ、当時の男性の平均身長と比べても決して高くはありませんでした。そこで彼は、高さが10cm以上もある特注のハイヒールを履くことで、小柄な身体を大きく見せ、絶対君主としての威厳と存在感を演出したのです。
当時の貴族社会では、背の高さは文字通り「地位の高さ」と結びついていました。臣下を見下ろす堂々とした姿は、王の権威を視覚的に示す上で極めて重要でした。ルイ14世のハイヒールは、かかと部分に戦闘場面の精巧な絵が描かれるなど、贅沢な装飾が施された芸術品でもあり、その富と権力を誇示する役割も担っていました。
3.2 ルイ14世が定めた赤いヒールのルール
ルイ14世はハイヒールの流行をさらに推し進め、宮廷内に厳格なルールを設けました。その象徴が「タロン・ルージュ(Talon Rouge)」、すなわち「赤いヒール」です。
彼は、自身のハイヒールのヒールとソールを鮮やかな赤色で染め上げ、これを履くことを宮廷内の特定の貴族にのみ許しました。この「赤いヒール」を履くことは、王の寵愛を受け、宮廷での高い地位を認められた者だけが享受できる特権の証となったのです。
当時、赤色は非常に高価で貴重な染料であり、権力や高貴さ、そして戦場での勇気を象徴する色でした。許可なく赤いヒールを履くことは、王への反逆と見なされるほど厳しいルールであり、ハイヒールは身分秩序を可視化するための重要な装置として機能しました。
項目 | 内容 |
---|---|
着用を許された者 | ルイ14世自身と、彼が特別に許可を与えた一部の高位貴族のみ |
色の意味 | 権力、高貴、富、勇気の象徴。神聖な王権を暗示する色でもあった。 |
目的 | 着用者を明確に区別し、宮廷内の身分秩序を視覚的に示すこと。王への忠誠の証。 |
違反した場合 | 王への不敬と見なされ、宮廷からの追放など厳しい罰則の対象となった。 |
このように、ルイ14世の時代におけるハイヒールは、単なるファッションアイテムではなく、政治的な意味合いを強く持つ、男性の権威の象徴だったのです。
4. なぜハイヒールは女性の履物になったのか
もともと男性、特に騎兵や貴族の履物であったハイヒール。それが今日のように「女性の履物」というイメージに変わったのには、社会的な価値観の大きな変化が関係しています。ここでは、ハイヒールが男性の手から離れ、女性のファッションアイテムとして定着していった歴史の転換点を解説します。
4.1 男性の権威を模倣した女性たち
17世紀のヨーロッパでは、上流階級の女性たちの間で、男性のファッションを取り入れることが流行しました。髪を短く切ったり、男性的なデザインの服を着たり、パイプを吸ったりといった流行の中に、ハイヒールを履くことも含まれていました。
これは単なるおしゃれではなく、当時、社会的な権力や特権を持っていた男性のスタイルを模倣することで、その力を手に入れようとする試みでもあったのです。つまり、女性たちはハイヒールを「女性らしさ」の象徴としてではなく、「男性的な権威」の象徴として履き始めたのでした。
この頃から、ハイヒールのデザインにも男女差が生まれ始めます。男性用のヒールは太く頑丈なままでしたが、女性用のヒールはより細く、曲線的で優美なデザインへと変化していきました。それでも、ハイヒールが完全に女性だけのものになるには、もう一つの大きな歴史的事件を待つ必要がありました。
4.2 フランス革命後に男性はハイヒールを履かなくなった
ハイヒールの運命を決定的に変えたのは、18世紀末に起こったフランス革命です。革命によって王政と貴族社会が打倒されると、それまで貴族階級の象徴であった華美なファッションは徹底的に否定されるようになります。
ハイヒールは、非生産的で歩きにくい、まさに旧時代の貴族的な贅沢品の象徴と見なされました。啓蒙思想の影響もあり、新しい時代の男性たちは、見た目の華やかさよりも「理性」や「実用性」を重んじるようになります。その結果、男性の服装は機能的で質素なものへと大きく変化し、ハイヒールを履く習慣は急速に廃れていきました。この大きな変化は「大いなる男性の放棄」とも呼ばれています。
一方で、女性のファッションには依然として装飾的な要素が求められ続けました。男性が手放したハイヒールは、次第に「非実用的」「装飾的」といった側面から「女性らしさ」や「セクシュアリティ」と結びつけられるようになり、完全に女性の履物として定着していったのです。
時代 | 男性のファッション | 女性のファッション |
---|---|---|
革命前(17世紀〜18世紀) | 権威の象徴としてハイヒールを愛用。レースや刺繍など華美な装飾が好まれた。 | 男性の権威を模倣するためハイヒールを着用。次第に独自の装飾的なデザインへ発展。 |
革命後(18世紀末以降) | 実用性・合理性を重視。ヒールのない、または低い実用的な靴が主流となる。(大いなる男性の放棄) | 装飾的な役割が残り、ハイヒールが「女性らしさ」の象徴として定着していく。 |
5. 現代に受け継がれるハイヒールの歴史
フランス革命を経て、男性が実用的な服装を重んじるようになりハイヒールを手放した後、その歴史は女性のファッションアイテムとして新たな章を迎えます。かつて男性の権威の象徴であったハイヒールは、時代ごとの社会情勢や価値観を反映しながら、その形と意味を変化させていきました。
5.1 19世紀:女性のファッションとしての確立
19世紀に入ると、ハイヒールは完全に女性の履物として定着します。特にヴィクトリア朝時代には、女性の足元を小さく、か弱く見せることが「女性らしさ」の象徴とされ、ハイヒールがその役割を担いました。また、写真技術の登場はファッションの流行を加速させ、裕福な女性たちがハイヒールを履いてポーズをとる姿が広まり、多くの女性たちの憧れの的となったのです。
5.2 20世紀:ピンヒールの誕生とファッションアイコン
20世紀は、ハイヒールの歴史において最も劇的な変化が起きた時代と言えるでしょう。二度の世界大戦を経て、女性の社会進出が進むと、ファッションも大きく変化。特に戦後の好景気は、人々の心を開放的なムードにさせました。
5.2.1 スティレットヒールの革命
1950年代、ファッション史を揺るがす発明がなされます。それが、細く鋭いピンのようなヒールを持つ「スティレットヒール(ピンヒール)」の登場です。デザイナーのロジェ・ヴィヴィエやサルヴァトーレ・フェラガモらによって生み出されたこの新しいデザインは、それまでの太いヒールとは一線を画す、エレガントでセクシーなシルエットで世界中の女性を魅了しました。マリリン・モンローをはじめとする映画スターたちがこぞって愛用したことで、ピンヒールは女性の美しさとエンパワーメントを象徴するアイテムへと昇華したのです。
5.2.2 多様化するデザインとポップカルチャー
スティレットヒールの大流行後、ハイヒールのデザインはさらに多様化します。1960年代にはミニスカートの流行と共に安定感のあるチャンキーヒール(太いヒール)が、1970年代にはディスコブームに乗り、男女問わずプラットフォームシューズ(厚底靴)が大流行しました。特にデヴィッド・ボウイに代表されるグラムロックのスターたちが奇抜な厚底ブーツを履いたことは、ハイヒールが再び男性の自己表現のツールとして使われた象徴的な出来事でした。
5.3 21世紀:多様性とジェンダーレスへの回帰
現代において、ハイヒールはもはや単一の価値観で語られるものではありません。個人のアイデンティティやスタイルを表現するための、極めて多様な選択肢の一つとなっています。
5.3.1 ブランドが象徴する現代のハイヒール
クリスチャン・ルブタンの「レッドソール」や、マノロ・ブラニクの洗練されたデザインのように、特定のブランドがハイヒールを芸術の域にまで高め、多くの人々の憧れを集めています。一方で、スニーカーのように快適な履き心地を追求したヒールも登場するなど、デザインと機能の両面で進化を続けています。現代のハイヒールは、様々な種類が存在し、TPOやファッションに合わせて選ばれています。
種類 | 特徴 | 主な流行年代 |
---|---|---|
ピンヒール(スティレットヒール) | 金属の芯が入った細く高いヒール。エレガントでセクシーな印象を与える。 | 1950年代~現代 |
チャンキーヒール | ずんぐりとした太いヒール。安定感があり、歩きやすい。 | 1960年代、1990年代、現代 |
プラットフォームシューズ | つま先からかかとまで、靴底全体が厚底になっている。身長を高く見せる効果が大きい。 | 1970年代、1990年代~現代 |
ウェッジソール | かかとからつま先まで、靴底が一体となったくさび形のヒール。安定性が高く、リゾートファッションなどで人気。 | 1930年代~現代 |
5.3.2 再び男性の足元へ:ジェンダーの境界を超える靴
そして今、非常に興味深いことに、ハイヒールの歴史は原点に回帰するような動きを見せています。ジェンダーの多様性が尊重される現代において、ファッションにおける男女の境界線は曖昧になりつつあります。ハリー・スタイルズなどの世界的スターが公の場でヒールのある靴を履きこなす姿は、その象徴です。かつてペルシャの騎兵が履き、ルイ14世が権威の象徴としたハイヒールが、再び性別を問わない自己表現のツールとして選ばれているのです。これは、ハイヒールの持つ長い歴史が、新たな価値観と共に未来へと受け継がれている証と言えるでしょう。
6. まとめ
この記事では、ハイヒールが元々男性の履物であった歴史を解説しました。結論として、ハイヒールの起源は乗馬の際に鐙(あぶみ)に足を固定しやすくするために作られた、ペルシャの男性騎兵の靴にあります。その後ヨーロッパへ渡り、ルイ14世に愛用されるなど貴族男性の間で権威の象徴となりました。やがて女性がそのスタイルを模倣し始め、フランス革命を境に男性が実用的な靴を選ぶようになったことで、ハイヒールは女性の履物として定着したのです。