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驚きの起源!「スーツのネクタイはクロアチア兵のスカーフが原型」だったって本当?歴史を徹底解説

驚きの起源!「スーツのネクタイはクロアチア兵のスカーフが原型」だったって本当?歴史を徹底解説

 

スーツに欠かせないネクタイの起源が、実はクロアチア兵のスカーフだという説をご存知ですか?この記事では、その驚きのルーツの真相を徹底解説します。結論として、ネクタイの原型はクロアチア兵のスカーフです。なぜそう言えるのか、その歴史的背景からフランスでの流行、現代ネクタイへの進化、そしてクロアチアとの興味深い繋がりまで、この記事を読めば全てが明らかになります。

1. スーツのネクタイの起源 クロアチア兵のスカーフ説の真相

現代のビジネスシーンやフォーマルな場で、スーツスタイルを引き締める重要なアクセサリーであるネクタイ。その起源を辿ると、意外な歴史にたどり着きます。「スーツのネクタイはクロアチア兵のスカーフが原型」という話を聞いたことがあるでしょうか?この説は一体どこまで真実なのでしょうか。本章では、ネクタイの起源にまつわるこの興味深い説の真相を、歴史的背景と共に詳しく解説していきます。

1.1 結論 ネクタイのルーツはクロアチア兵士のスカーフ

結論から申し上げますと、「スーツのネクタイの原型はクロアチア兵士のスカーフである」という説は、歴史的事実として広く認められています。 17世紀のヨーロッパで活躍したクロアチア兵たちが首に巻いていた色鮮やかなスカーフこそが、現代のネクタイへと繋がる直接的なルーツと考えられているのです。多くの服飾史の研究や資料が、この起源説を裏付けています。

もちろん、首に布を巻く習慣自体は古代ローマの兵士などにも見られましたが、現代私たちが目にするネクタイの直接的な祖先として最も有力視されているのが、このクロアチア兵のスカーフなのです。

1.2 なぜクロアチア兵のスカーフがネクタイの原型と言われるのか

では、なぜ一介の兵士が身につけていたスカーフが、世界的なファッションアイテムであるネクタイの原型とされるようになったのでしょうか。その背景には、当時のヨーロッパの歴史的出来事と、ファッション文化の変遷が深く関わっています。主な理由としては、以下の点が挙げられます。

  • 三十年戦争(1618年~1648年)におけるクロアチア兵の登場: 17世紀前半のヨーロッパを戦渦に巻き込んだ三十年戦争において、フランス軍に加わったクロアチア出身の傭兵たちがいました。彼らは、故郷の習慣に倣い、首に特徴的なスカーフを巻いていました。このスカーフは、兵士たちの所属を示すと同時に、装飾的な意味合いも持っていたと言われています。
  • フランス宮廷での注目と流行: パリに駐留したクロアチア兵たちの斬新な首元の装いは、当時のファッションをリードしていたフランス宮廷の人々の目に留まりました。特に、太陽王として知られるフランス国王ルイ14世がこのスタイルに強い関心を示し、自らも取り入れたことが、流行の大きなきっかけとなりました。国王が身につけたことで、貴族たちの間でも瞬く間に模倣され、洗練された装飾品として広まっていったのです。
  • 「クラバット」という名称の誕生と定着: クロアチア兵が巻いていたスカーフは、フランス語でクロアチア人を指す言葉(例えば "Cravate" クラヴァット)に由来して「クラバット」と呼ばれるようになりました。この「クラバット」こそが、ネクタイの直接の祖先であり、その名称と共にヨーロッパ各地へ広まっていきました。

これらの歴史的経緯が複合的に作用し、クロアチア兵の民族衣装の一部であったスカーフは、ヨーロッパの新たなファッションとして認識され、後のネクタイ文化の礎となったのです。次の章では、この「クラバット」と呼ばれたクロアチア兵のスカーフが、具体的にどのようなものであったのか、さらに詳しく見ていきましょう。

2. ネクタイの原型 クラバットと呼ばれたクロアチア兵のスカーフ

現代私たちがスーツスタイルに欠かせないアイテムとして認識しているネクタイ。その直接的なルーツを辿ると、17世紀のヨーロッパ、特にクロアチアの兵士たちが首に巻いていた一枚の布に行き着きます。この布は後に「クラバット」と呼ばれ、ヨーロッパの服飾史において重要な転換点となりました。本章では、このクラバットの起源となったクロアチア兵のスカーフがどのようなものであったのか、そしてそれが歴史の表舞台に登場するに至った背景を詳しく解説します。

2.1 当時のクロアチア兵士とスカーフの役割

17世紀前半、ヨーロッパは「三十年戦争」(1618年~1648年)という大規模な戦乱の時代でした。この戦争で、クロアチア人傭兵はその勇猛さで知られ、特に騎兵は各国の軍隊で重宝されました。彼らが戦場で首に巻いていたスカーフこそが、ネクタイの原型とされるものです。このスカーフは、単なる装飾品ではなく、当時の兵士たちにとって実用性と象徴性を兼ね備えた重要なアイテムでした。

クロアチア兵のスカーフは、彼らの軍服の一部として、また個人のアイデンティティを示すものとして機能していました。その素材や結び方には、当時の生活様式や兵士たちの置かれた状況が反映されています。

2.1.1 スカーフの素材と特徴

兵士たちが用いたスカーフの素材や色、デザインは、その兵士の階級や身分、さらには所属する部隊によって異なっていたと考えられています。一般的に以下のような特徴がありました。

階級・身分 主な素材 特徴・意味合い
一般兵士 リンネル、綿、羊毛など 比較的安価で入手しやすい素材が用いられ、実用性を重視した簡素な作りのものが多かったと推測されます。色は所属部隊を示すものや、汚れが目立ちにくいものが選ばれた可能性があります。
将校・貴族出身兵士 絹(シルク)、レース、上質なリンネルなど より高価で手触りの良い素材が使われ、凝った刺繍や装飾が施されることもありました。これは彼らの社会的地位や富を示すステータスシンボルとしての役割も担っていました。

スカーフの色については諸説ありますが、特に赤色は勇気や忠誠心、あるいは故郷への愛を象徴する色として好まれたという話も伝わっています。結び方は、首に数回巻き付けて端を胸元で結ぶシンプルなものが基本でしたが、個々人の好みや工夫によって様々なバリエーションが存在したと考えられます。

2.1.2 スカーフの多岐にわたる役割

クロアチア兵が首に巻いたスカーフは、過酷な戦場環境において、見た目の装飾以上に多くの実用的な役割を果たしていました。

  • 首元の保護:寒さや暑さ、砂塵や土埃から首筋を保護する基本的な機能です。また、剣や槍による攻撃から首をわずかでも守るという、原始的な防具としての意味合いもあったかもしれません。
  • 汗止め・衛生:激しい戦闘や長距離の行軍でかく汗を吸収し、体温調節を助けたり、汗が目に入るのを防いだりしました。
  • 識別の印:所属する部隊や仲間同士の目印として、特に混戦状態での識別を助ける役割を果たした可能性があります。特定の色や結び方が、その部隊のシンボルとなっていたことも考えられます。
  • 応急処置用具:負傷した際には、止血のための包帯代わりとして、あるいは腕を吊るための三角巾のように、緊急時の医療用具としても活用されました。
  • 精神的な支え・装飾:故郷の恋人や妻、家族から贈られたお守りとして大切に身に着けていた兵士もいたと言われています。これは兵士たちの士気を高め、精神的な支えとなると同時に、殺風景になりがちな軍服に彩りを添える装飾品としての意味も持ち合わせていました。

このように、クロアチア兵のスカーフは、戦場での生存と任務遂行を支える実用品でありながら、彼らのアイデンティティや心情を映し出す象徴的なアイテムでもあったのです。

2.2 三十年戦争がきっかけ クロアチア兵のスカーフが歴史の表舞台へ

クロアチア兵の首元のスカーフが、ヨーロッパのファッション史において注目される直接的なきっかけとなったのは、17世紀前半に勃発した三十年戦争です。この長きにわたる戦乱の中で、クロアチア人傭兵部隊はフランス王国軍など様々な勢力の下で戦いました。特にフランス軍に加わったクロアチア兵がパリに駐留した際、その独特な首の装飾が、当時の人々の目に留まったのです。

1630年代から1660年代にかけて、フランス国王ルイ13世や、その息子である若きルイ14世(後の太陽王)の宮廷に、クロアチア人騎兵連隊が仕えていました。彼らの勇猛果敢な戦いぶりと共に、首に巻かれた色鮮やかで装飾的なスカーフは、パリの社交界や市民の間で大きな関心を集めました。それまで男性の首周りの装飾といえば、硬い襟やレースのラフ(襞襟)が主流でしたが、クロアチア兵のスカーフはより自由で実用的、かつ洗練された新しいスタイルとして映ったのです。

このクロアチア兵が身に着けていたスカーフは、フランス語で「クロアチア人に由来するもの」といった意味合いから「クラヴァット(cravate)」と呼ばれるようになりました。この「クラヴァット」こそが、現代のネクタイの直接の原型とされています。戦場で兵士たちの実用品として生まれたスカーフが、当時のヨーロッパ文化・ファッションの中心地であったパリで洗練され、新たなファッションアイテムとして生まれ変わった歴史的な瞬間でした。

この「クラヴァット」の登場は、単なる一過性の流行に終わることなく、その後のヨーロッパ貴族社会における男性の基本的な装いの一部として定着し、さらなる発展を遂げていくことになります。三十年戦争という歴史的な大事件が、図らずも新たな服飾文化の潮流を生み出す触媒となったのです。

3. クロアチア兵のスカーフがフランスで流行しネクタイ文化が誕生

三十年戦争を機に歴史の表舞台に登場したクロアチア兵のスカーフは、遠くフランスの地で新たなファッションアイテムとして注目され、現代のネクタイ文化へとつながる大きな一歩を踏み出しました。その中心には、当時のファッションリーダーであったフランス国王ルイ14世の存在がありました。

3.1 ファッションリーダー ルイ14世とクラバット

17世紀半ば、三十年戦争に従軍していたクロアチアの傭兵たちがフランスを訪れた際、彼らが首に巻いていた独特のスカーフが、当時のフランス社交界、特にファッションに敏感な人々の目に留まりました。中でも、「太陽王」と称されたフランス国王ルイ14世が、このクロアチア兵の首元の装飾に大変興味を示したと伝えられています。

ルイ14世は、クロアチア兵が首に巻いていた色鮮やかな布切れ(主にリネンや木綿製で、兵士の階級や所属を示す役割もあったとされます)の斬新さと伊達男ぶりに魅了されました。彼は早速このスタイルを自身の宮廷ファッションに取り入れ、側近たちにも着用を奨励しました。当時のフランス宮廷はヨーロッパにおける文化・ファッションの最先端であり、国王が採用したものは瞬く間に貴族たちの間で大流行しました。これが、ネクタイの直接の原型とされる「クラバット」の誕生です。

ルイ14世は自らも様々な素材やデザインのクラバットを愛用し、その結び方にも工夫を凝らしたと言われています。彼の強い影響力により、クラバットは単なる兵士の装身具から、洗練されたファッションアイテムへと昇華したのです。

3.2 「クラバット」の名前の由来とは

ネクタイの原型となった「クラバット(cravate)」という名称は、その起源を明確に示しています。この言葉は、フランス語で「クロアチア人」または「クロアチアのもの」を意味する言葉が転じたものであるというのが最も有力な説です。

具体的には、以下のような経緯が考えられています。

言語/呼称 関連する言葉 意味・背景
クロアチア語 Hrvat (フルヴァート) 「クロアチア人」を意味します。
フランス語 (古形) Croate / Cravate クロアチア兵を指す言葉として使われ、彼らが身に着けていたスカーフも指すようになりました。発音の過程で「Cravate」となったとされています。
ドイツ語 Krawatte (クラヴァッテ) フランス語の「cravate」が伝わったものです。
英語 Cravat (クラバット) 同様にフランス語から借用されました。

このように、「クラバット」という名前自体が、ネクタイのルーツがクロアチアにあることを物語っているのです。クロアチア兵の勇猛さと、彼らが身に着けていたユニークなスカーフが、フランス社交界に強烈な印象を与えた結果、その名がファッションアイテムの名称として定着しました。

3.3 ヨーロッパ貴族社会へ広まったネクタイの原型

ルイ14世によってフランス宮廷で市民権を得たクラバットは、その洗練された魅力から、瞬く間にヨーロッパ各国の王侯貴族社会へと広まっていきました。当時のヨーロッパではフランス文化が先進的とされ、そのファッションは各国の貴族たちの憧れの的だったため、クラバットの流行も自然な流れでした。

特にイギリスでは、チャールズ2世が亡命先のフランスから帰国する際にクラバットを持ち帰り、イギリス上流階級の間で広まったとされています。イギリスではその後、より実用的で多様な結び方が考案され、現代のネクタイへと進化していく上で重要な役割を果たしました。

クラバットは当初、シンプルな布製でしたが、流行と共にその素材や装飾も多様化していきました。レースや刺繍が施された豪華なもの、シルクやサテンといった高級素材を用いたものなどが登場し、ステータスシンボルとしての側面も持つようになります。結び方にも様々なバリエーションが生まれ、個性を表現する手段ともなりました。このようにして、クロアチア兵のスカーフから生まれたクラバットは、ヨーロッパの男性ファッションに欠かせないアイテムとして確固たる地位を築き上げたのです。

4. クラバットから現代スーツのネクタイへの進化の歴史

17世紀のフランス宮廷で花開いたクラバットは、その後ヨーロッパ各地へと広まり、時代ごとの流行や社会の変化を反映しながら、私たちが今日知るスーツ用のネクタイへと姿を変えていきました。ここでは、その驚くべき進化の歴史を詳しく見ていきましょう。

4.1 時代と共に変化したネクタイの形と結び方

クラバットの登場から現代に至るまで、ネクタイの形状や素材、そして結び方はめまぐるしく変化してきました。それぞれの時代背景と共に、その変遷を追います。

4.1.1 17世紀後半~18世紀:クラバットの多様化と初期の流行

ルイ14世によってフランス宮廷に取り入れられたクラバットは、当初、レースや上質なリネンで作られた幅広の布を首に巻き、無造作に結ぶスタイルが主流でした。しかし、次第に結び方にも工夫が凝らされるようになります。1692年のステーンケルケの戦いで、フランスの将兵が奇襲攻撃に際して急いでクラバットを結んだことから生まれた「ステインカーク(Steinkirk)」または「シュタインケルク」と呼ばれるスタイルは、そのアシンメトリーでやや崩した結び方が伊達男たちの間で流行しました。この時代、クラバットは個人の富や地位を示す装飾品としての意味合いも強かったのです。

4.1.2 19世紀:ダンディズムとネクタイの洗練

19世紀に入ると、イギリスを中心に「ダンディズム」が隆盛を極めます。ジョージ・ブライアン・ブランメル(通称ボー・ブランメル)に代表されるダンディたちは、完璧な着こなしを追求し、ネクタイの結び方にも細心の注意を払いました。この時期には、首全体を高く覆う「ストックタイ」や、より装飾的で幅広の「アスコットタイ」が登場します。アスコットタイは現代でもモーニングコートなどの礼装に用いられています。また、ネクタイの結び方の種類も爆発的に増え、結び方を指南する教本まで出版されるほどでした。この頃から、ネクタイは単なる装飾品ではなく、個人のセンスや品格を表現する重要なアイテムとしての地位を確立し始めます。

19世紀後半には、現代のネクタイの結び方の基本とも言える「フォアインハンド・ノット(プレーンノット)」が登場し、そのシンプルさと結びやすさから広く普及しました。ネクタイ自体の幅も徐々に細くなり、より実用的な形へと変化していきます。

4.2 産業革命とネクタイの普及

19世紀を通じて進行した産業革命は、ネクタイの歴史においても大きな転換点となりました。それまで手工業が中心だったネクタイ製造に機械化の波が押し寄せ、織物技術の発展と縫製技術の機械化により、ネクタイの大量生産が可能になったのです。

これにより、ネクタイは貴族や富裕層だけでなく、急速に台頭してきた中産階級のビジネスマンやホワイトカラー層にも手が届きやすいものとなりました。既製品のネクタイが市場に多く出回るようになり、価格も手頃になったことで、ネクタイは男性のファッションアイテムとして一般化していきます。この普及が、後のスーツスタイルの確立と深く結びついていくことになります。

4.3 スーツスタイルに欠かせない現代ネクタイの成立

20世紀に入ると、現代のビジネススーツの原型である「ラウンジスーツ」が普及し、それに伴いネクタイもスーツスタイルに不可欠なアクセサリーとして定着しました。この時代、ネクタイは男性の社会的な地位や個性を象徴するアイテムとしての役割を強めていきます。

4.3.1 20世紀初頭から中頃:ネクタイデザインの多様化

20世紀初頭には、イギリスのウィンザー公(後のエドワード8世)が愛用したとされる幅広の「ウィンザーノット」が流行しました。実際にはウィンザー公自身がこの結び方を考案したわけではなく、彼が好んだ厚手の生地のネクタイをバランス良く見せるために生まれた結び方と言われています。この頃から、ネクタイの幅、色、柄、素材はさらに多様化し、個々人の好みやTPOに合わせて選ばれるようになりました。ストライプ、ドット、ペイズリーといったクラシックな柄に加え、アール・デコ調の幾何学模様など、時代を反映したデザインも登場しました。

第二次世界大戦後は、アメリカのアイビーリーグスタイルや、戦後の経済成長と共にビジネスマンの象徴として、ネクタイはより一層その存在感を増していきます。細身の「スキニータイ」が流行したかと思えば、70年代には極端に幅広のネクタイが登場するなど、ネクタイのトレンドは目まぐるしく変化しました。

4.3.2 現代におけるネクタイの役割

現代においては、ビジネスシーンのカジュアル化(クールビズなど)により、ネクタイを着用する機会は以前に比べて減少傾向にあるかもしれません。しかし、フォーマルな場や重要な商談、個性を演出したい場面において、ネクタイは依然として男性のVゾーンを飾る重要なファッションアイテムです。素材もシルクだけでなく、ウール、コットン、リネン、ニットなど多岐にわたり、季節感やスタイルに合わせて選ぶ楽しみも増えています。また、サステナブルな素材や製法で作られたネクタイも注目されるなど、時代と共にその価値観も進化し続けています。

以下に、クラバットから現代ネクタイへの主な変遷をまとめます。

時代 主なネクタイの名称/スタイル 特徴 関連する出来事/人物
17世紀後半 クラバット レースやリネン製の幅広の布。首に巻く。 ルイ14世、クロアチア兵
18世紀 クラバット、ステインカーク(シュタインケルク) 装飾性の向上。戦場で生まれたラフな結び方が流行。 ステーンケルケの戦い
19世紀前半 ストックタイ、アスコットタイ 硬い襟巻き。幅広で装飾的。結び方の多様化。 ボー・ブランメル、ダンディズム
19世紀後半 フォアインハンドタイ 細身で現代的な形状へ。実用性重視。 フォアインハンド・ノットの登場、産業革命による普及の兆し
20世紀初頭 モダンネクタイ スーツスタイルに定着。様々な幅と柄。 ウィンザーノット(ウィンザー公)、ラウンジスーツの普及
20世紀中頃~後半 多様なネクタイ スキニータイ、ワイドタイ、ニットタイなど素材・デザインの爆発的な多様化。 戦後経済成長、ファッションの多様化
現代 多様なネクタイ フォーマル、ビジネス、カジュアルでの役割。サステナビリティへの関心。 クールビズ、個性の表現

このように、クラバットから始まった首元の装飾は、社会の変化、技術の進歩、そして人々の美意識の変遷と共に進化を遂げ、現代のスーツスタイルに欠かせないネクタイという形になったのです。

5. スーツのネクタイとクロアチアにまつわる豆知識

スーツスタイルに欠かせないネクタイが、遠くクロアチアの兵士のスカーフにその起源を持つことは、驚きと共に興味深い事実です。ここでは、ネクタイとクロアチアにまつわる、さらに深く知っておきたい豆知識をご紹介します。

5.1 ネクタイの日 10月18日はクロアチア発祥の記念日

毎年10月18日は「ネクタイの日」(Cravat Day)として、クロアチアを中心に世界各地でお祝いされています。この日は、ネクタイの文化的・歴史的遺産としての価値を再認識し、その起源であるクロアチアを称える日です。

5.1.1 「ネクタイの日」制定の背景と目的

「ネクタイの日」は、2008年にクロアチアの学術機関「アカデミア・クラヴァティカ」によって提唱され、クロアチア議会によって公式に宣言されました。この記念日の目的は、ネクタイがクロアチア発祥であるという歴史的事実を世界に広め、クロアチアの文化遺産としてのネクタイの重要性を強調することにあります。また、ネクタイを通じて平和やコミュニケーションの象徴としての意味合いも込めています。

5.1.2 クロアチアでの「ネクタイの日」の過ごし方

クロアチア国内、特に首都ザグレブでは、「ネクタイの日」に様々なイベントが開催されます。例えば、歴史的な衣装をまとった人々によるパレードや、公共の建造物や銅像に巨大なネクタイが飾られるなど、街全体がネクタイでお祝いムードに包まれます。学校ではネクタイの歴史に関する授業が行われたり、人々は誇りを持ってネクタイを着用したりします。これらの活動は、若い世代にもネクタイの伝統を伝える上で重要な役割を果たしています。

5.2 クロアチアにおけるネクタイの現代的意味

現代のクロアチアにおいて、ネクタイは単なるファッションアイテム以上の意味を持っています。それは、国のアイデンティティと文化的な誇りを象徴する重要なシンボルとして認識されています。

5.2.1 文化的アイデンティティとしてのネクタイ

クロアチアの人々にとって、ネクタイは自国の歴史と深く結びついた存在です。国際的な場面や公的な行事では、クロアチアの代表者がネクタイを着用することで、自国の文化と伝統への敬意を示すと同時に、国際社会におけるクロアチアの認知度を高める役割も担っています。ネクタイは、クロアチアが世界に誇るべき発明品の一つとして大切にされています。

5.2.2 クロアチアのお土産としてのネクタイ

クロアチアを訪れる観光客にとって、ネクタイは人気のお土産の一つです。特に、クロアチアの伝統的な模様やシンボルを取り入れたデザインのネクタイは、その国ならではの特別な記念品となります。例えば、グラゴル文字(古代クロアチアで使われた文字)をモチーフにしたデザインや、クロアチアの国章に見られるチェック柄(シャホヴニツァ)を取り入れたものなど、多様なバリエーションがあります。これらのネクタイは、単に美しいだけでなく、クロアチアの文化や歴史を身にまとうことができるアイテムとして価値があります。

5.3 クロアチアとネクタイにまつわるトリビア

ネクタイとクロアチアに関する興味深いトリビアをいくつかご紹介します。

項目 詳細
ネクタイの語源「クラヴァット」

ネクタイの原型となったスカーフを巻いていたクロアチア兵を指すフランス語「クラバット(Cravate)」が、そのままネクタイを意味する言葉として定着しました。これは、クロアチア兵の装いが当時のフランス社交界に与えたインパクトの大きさを物語っています。

世界最大のネクタイ

2003年10月18日、クロアチアの都市プーラにある古代ローマ時代の円形闘技場に、長さ808メートル、幅25メートルの巨大な赤いネクタイが巻き付けられました。このイベントは、「ネクタイの日」のプロモーションの一環として行われ、ネクタイ発祥の地としてのクロアチアを世界にアピールしました。このネクタイはギネス世界記録にも認定されたと言われています。(注:ギネス認定の公式記録は時期により変動する可能性があります)

ネクタイ関連の文化施設

クロアチアの首都ザグレブには、「アカデミア・クラヴァティカ(Academia Cravatica)」というネクタイの歴史や文化を研究・広報する非営利団体があります。この団体は、「ネクタイの日」の制定や、ネクタイに関する様々な文化イベントを主導しており、クロアチアのネクタイ文化発信の中心的な役割を担っています。彼らの活動については、公式サイトなどで情報を得ることができます。

クロアチアのネクタイブランド

クロアチアには、高品質なネクタイを製造・販売するブランドがいくつか存在します。その中でも「CROATA(クロアタ)」は有名で、伝統的なデザインからモダンなデザインまで、クロアチアの文化を反映したシルクネクタイを数多く取り扱っており、お土産としても人気があります。店舗はザグレブをはじめ、国内の主要都市に展開しています。

6. まとめ

スーツに欠かせないネクタイの起源が、17世紀のクロアチア兵士が首に巻いていたスカーフ「クラバット」であることは、歴史的な事実です。三十年戦争を機にフランスのルイ14世の目に留まり、宮廷で流行したクラバットは、やがてヨーロッパ各地へ広まりました。時代と共に形や結び方が進化し、産業革命を経て現代のネクタイへと発展しました。10月18日は「ネクタイの日」としてクロアチアで制定されており、ネクタイとクロアチアの深い繋がりを今に伝えています。